【子育て】自然分娩と無痛分娩は「どっちも痛かった」という個人的感想
Twitterにて無痛分娩について何やら盛り上がってるのを見ました。
息子氏の16連休後半で疲れてぼーっとTLみてるばかりだったのですが、よく考えたら私、どっちも経験してました。
(他の方にリプして思い出した。)
ということで今日は自然分娩と無痛分娩どっちも経験してみた個人的感想のお話です。
- 逃げ恥スペシャル、みました?
- 自分や住む場所の当たり前が全然当たり前じゃないことも往々にしてある
- 第一子出産時(2016年10月、日本、自然分娩、ソフロロジー分娩法)
- 第二子出産時(2020年1月、アメリカ、無痛分娩)
- 自然分娩と無痛分娩、結局「どっちも痛かった」
- まとめ
逃げ恥スペシャル、みました?
近年のテーマを盛り込んだ逃げ恥スペシャル
無痛分娩が話題になったきっかけが、2016年に流行った「逃げるが恥だが役に立つ」のスペシャル。
ちょうど息子氏出産時にやっていて、私も育児の合間にドラマは全てみました。
スペシャルもずっと楽しみにしていて、観たいのですがVPNの調子が悪くて…!
このブログTwitterの半数以上がママさんなのですが、大勢の方がみていたのか終わった後のTLは逃げ恥だらけ。
下記の例ようにかなり様々なテーマを取り扱っていたそうで、しかもリアリティがあったそう。
- COVID-19
- 無痛分娩
- 選択的夫婦別姓
- 男性育休
- ジェンダーギャップ
- 同性愛
- 子宮体癌
予告編がありました。
『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類! 新春スペシャル!!』1/2(土) お馴染みのメインキャスト陣が再集結!!【TBS】
皆さんが「楽しかった!」「リアルでみててしんどかった!」「旦那さんがすごいうなずいてた」なんて呟いていて、期待値高いです…私も早くみたい。
無痛分娩について様々な意見が出てTwitterにてトレンド入り
で、その中で新垣結衣さん演じるみくりちゃんが無痛分娩を選んだことにより、
よくあるドラマのお母さんが痛みに耐えて絶叫しながら出産するシーンが描かれなかったことが話題に。
「新しい時代だ…!」と肯定的な意見もたくさんあったけど、「無痛分娩は甘え」などと否定的な意見も出て見事トレンド入りしたという流れです。
ふんふん…色んな意見があるんですね。
これから妊娠・出産される方へ
この話題をきっかけに、これから妊娠・出産をされる方が「無痛にしたいけど甘えなのかな…?」と不安になることもあると思います。
(妊娠中ってメンタル不安定になりがちですよね…)
そして"無痛分娩"で検索してたどり着く方もいると思います。
自然分娩もですが、お産の進み具合、痛みの感じ方はかなり個人差があるので、
「ほう、この人はこんな感じだったんだ」と参考にみてくれたらいいなと思って今日の記事を書きました。
ありのままを全て書いたのでだいぶ長くなってしまいました、ごめんなさい。
何より母子が最優先なので、ご自身にとって負担が少ない素敵な選択ができますように。
自分や住む場所の当たり前が全然当たり前じゃないことも往々にしてある
一人目出産時に消去法で自然分娩を選んだ私
私自身、息子氏を出産した時は無痛分娩は選択肢に全くなく、自然分娩を選びました。
その理由は帝王切開した人から「腰に打つ麻酔が何よりも痛くてつらかった」と話に聞いたから、帝王切開や無痛分娩は嫌だったからです。
完全に消去法ですね。
お嬢を妊娠した際にもイメージは変わらず。
それどころか友人たちの「お産の進みが早すぎて麻酔が間に合わなかった」、「出産時は痛くなかったけど、麻酔が合わなかったのか体調不良に」という経験談を聞いて、
「無痛分娩怖い……!!!」とさえ思っていました。
アメリカで自分の当たり前は当たり前じゃないことを知り無痛分娩を選択
そんな私が無痛分娩を経験することとなった一番の理由は"アメリカで出産することになったから"です。
検診を受ける病院と産む病院は別だったので、病院ツアーに参加する必要があったのですが、そこで渡米して最初のカルチャーショックを受けました。
お嬢を産んだアメリカの病院では"無痛が主流だけど、自然分娩も希望したらできるよ!"とアピールしてた。質疑応答の時にある旦那さんが「自分が産む立場だったら痛くない方が絶対良いと思うのになんで自然分娩?」と普通に聞いてて、それが渡米して最初のカルチャーショックでした。
— dorashima0609 (@dorashima0609) 2021年1月4日
そして自然分娩用の入院部屋が、大きなバスタブ付き浴室、ベッドは家族も2人くらい添い寝できる大きさで、ホテルのスイート?ってくらい豪華でびっくりした。もちろん本人が希望したり、状況によっては無痛分娩に切り替え可能。それでも説明会で自然分娩希望してるって手を挙げたのは1〜2割。
— dorashima0609 (@dorashima0609) 2021年1月4日
自分でも自然分娩が当たり前、無痛分娩はリスクあるし腰椎麻酔怖いって思ってたけど。国が変われば当たり前なんて違うんだなって知って、旦那氏の「痛いのが一番辛いって言ってたから、君が少しでも痛くない方がいいんじゃない?」って言葉で無痛にしました。
— dorashima0609 (@dorashima0609) 2021年1月4日
※腰椎麻酔じゃなくて硬膜外麻酔でした
第一子出産時(2016年10月、日本、自然分娩、ソフロロジー分娩法)
自分が産む直前まで低身長のリスクを知らなかった
消去法で自然分娩を選んだものの、注射の痛みすら嫌いな私は少しでも痛くないように…とソフロロジー分娩法を採用している産院を選びました。
脱線してしまうので詳細は省きますが、分娩時にお母さんの陣痛を和らげてリラックスすることにより、赤ちゃんにも酸素を十分に届けられるという呼吸法とリラックス音楽を組み合わせた出産方法です。
詳細はこちら↓
私は身長が148cmしかありません。
どうやら骨盤が狭いそうで、「赤ちゃんが3,000gを超えたら通れるかわからないから早く産んでくれ」と担当医に無茶ぶりされます。
そして、出産予定日の一週間前に予定分娩を予約させられます。
「麻酔、絶対嫌だ…!」と思いながら、夜に旦那氏と一生懸命歩きました。
陣痛開始から4日後に出産、分娩時間28時間という謎の数字
すると、予定分娩5日前10月7日に陣痛が始まります。いざ本番!
……と思ったら、陣痛が始まって一定間隔になるまで4日かかりました。
この時点でずっとほぼ徹夜です。もう十分痛いし辛いです。
「子宮口、まだ開いてないからもっと歩いてから来て」という鬼の追い返しに3度ほどあい、10月10日の夕方15時頃にやっと入院。
(この時の先生は二度と忘れない)
「今夜、日付が変わるかどうかくらいには生まれるでしょう」と言われます。
陣痛も痛いけど波があること、それに合わせて呼吸することで和らぐので、「これならきっと乗り越えられる!」と思った私を叱りたい。
10月11日になっても産まれず、そのまま始発の電車が動き出す音を聞くことに。
張り切って立ち会った旦那氏も腰をさすりながら寝落ちする始末。
ちょっとやばいから陣痛促進剤入れましょうと言われ、朝ごはんの後に入れてもらったら陣痛の間隔が狭くなりすぎて呼吸できなくなって食べたもの全部吐きました。
旦那氏は「人生で初めて手で誰かのリバースを受け止めた」とのちに何度も語ることとなります。
結局、徹夜つづきの私の体力が弱っており、陣痛促進剤でもあまり効果が出ませんでした。
子宮口全開になってから時間が経ちすぎると危険とのことで、お昼前に吸引分娩が決まります。
物々しい雰囲気になり、医師が二人入ってきて、旦那氏はまさかの部屋から追い出されます。(医療行為を行う場に立ち会えないため)
「医師の一人がお腹を押すからそのときに一緒にいきんでくれ」と説明があって一回練習。
「次の陣痛でもう産むよ」と、その3分後にもう生まれてました。
………え?産まれたの?こんな一瞬で終わったの?
横には処置されている息子氏、そしてやっと中に入れた旦那氏。
「いつも俺が泣いちゃうけど、今日は君が泣く日だから泣かな…」と泣いている旦那氏の横でぽかんとしている私。
ものすごい間抜けな顔が今でも残っています。
終わった後の胎盤の処理や会陰縫合の方が、それまでの陣痛よりも痛かったです。
(出産で一番つらい産みだす部分を人工的に行ったので、いきむことがどんなに辛いことかを3年後に知ることとなります。)
陣痛が一定間隔になってから産むまでの時間を分娩時間と呼ぶそうで、息子氏の母子手帳には"28時間"と書かれています。
本当はもっと長い間頑張ったんだよと後世に語り継ぎたいと思います。
産後は意外と元気だったけど、痛みより眠気が勝っただけな気がする
この時ひたすらに分娩室で流れていたソフロロジーの音楽、私も旦那氏もこの辛かった時間を思い出すので一回も聴いてません。
そんなこんなでなかなか壮絶でしたが、産後1時間後には一人でトイレに行けたし、すたすた歩けていたことを産院の方たちに褒められました。
産んだ日は、すぐに面会にきた義両親と顔を合わせた後、息子氏の顔を新生児室に見に行くこともなく、後陣痛もよくわからないくらい寝ました。
(そして自分の誕生日も知らぬ間に迎えました。)
今でも陣痛の痛さよりも、長かったことと最後があっけなく終わったことが印象に残っています。
第二子出産時(2020年1月、アメリカ、無痛分娩)
前駆陣痛に1か月以上苦しめられるなど思いもしなかった
私が産んだ病院では、事前に無痛分娩か自然分娩かを選ぶことはなく、いざ産むときに希望を言えば叶えてくれるスタイルでした。
そんな手軽でいいのか…とびっくり。
2019年12月中旬、前駆陣痛が始まります。
旦那氏は「早めに生まれるかな!?」とそわそわし始めますが、私は前回の経験からすぐじゃないだろうと思います。
前駆陣痛が始まると、痛みが強いときには起こされるし、睡眠が細切れに。
息子氏とずっと家にいたのですが、何度寝落ちして息子氏が一人で遊んでいたことがあったことか…
年末年始、年が明けて検診が週に一回になっても子宮口が開く気配はありません。
息子氏が「10の日に出てくる」と予想するも何も起こらず。
「早く出ておいでー」と息子氏がお腹にチューしながら声をかけてくれる日々。
本陣痛がきたのが1月22日、つまり一か月以上毎日痛かったです。
この時点で全く"無"痛分娩じゃないです。
どうせまだ前駆陣痛だろうと思ったら急に本番がやってくる
予定日の8日前の検診で「子宮口1cmだね」と言われます。
こんなに痛くてまだ1cm…?
「早く産みたければもう陣痛促進剤打って産んでもいいけどどうしたい?」と聞かれますが、前回のトラウマがあるので様子見。
その次の日7日前に陣痛間隔が気付いたら5~10分に。
大学に行っていた旦那氏を呼び戻して電話してもらいます。
「5分間隔が1時間続いたらきて」と言われるので待っていると少量の出血。
「やっぱすぐ来て」と急いで病院へ。
本当は息子氏はシッターさんに預ける予定だったのですが、昼間なのでとりあえず連れていき、ダメになったらお願いすることに。
子宮口はまだ3cm程度。「入院前のモニター検査をした後、2時間歩いてきて」と3年前の悪夢再び。
どうやらこれは日米関係ないそう。
やだなーと思っていたら、モニター中に胎児の心拍が2度下がったそうで、問題はないけど念のため中止。
いざ、麻酔投入!無痛分娩は結局痛い
「麻酔を今すぐ入れても良いが、入れると食事できなくなるけどどうする?」と聞かれたので軽く食事をしてから麻酔をお願いすることに。
このときの自分を叱りたいです。
食事を買いに行ってもらい、食べている間にどんどん痛くなる陣痛。
痛さで身体ががくがく震えるほどになります。
麻酔医がきてくれてずっと怖がっていた硬膜外麻酔投入。
もうね、夜になっていて痛みマックスだったので全然痛くなかったです。
麻酔が効いたら本当に楽になって、日本の家族や友人に「今から産むよ」なんて連絡。
痛みがなくなったけど、陣痛も弱まったようで陣痛促進剤を投入されます。
それにより少し痛みが増しますが、痛みを感じたら自分で麻酔を追加できるので大丈夫。
「おぉー、無痛分娩すごいな。全然楽だ。」と思う余裕すらありました。
はい、この時の自分も叱りたい。
23時になっても眠れない息子氏を、付き添い用ベッドで旦那氏が頑張って寝かしつけ。
私の子宮口もすこしずつ開き、深夜0時頃に「全開だからいつでもOKよ!あとちょっとだね!1時間くらいかな」とナースに言われます。
子宮口全開から普通に痛い、そして誕生まで3時間
ところが子宮口全開になってしまったのに、麻酔を追加しても痛い!普通に痛い!
訴えても「お産を進めるためには多少痛みが必要なの」とスルー。
そんなの聞いてない…
そしてここから始まる生み出す闘い。
やはり骨盤が狭いからかいきんでも全然出てきません。
1時間が過ぎ…2時間が過ぎ…たまに来る医師がなにやらちょっと不穏な顔。
「これ以上時間がかかると帝王切開などを考えなきゃダメかもしれない」と。
そんなこと言われても強い痛さと共にもう3時間近くいきんでいる私は何もできません。
いきみ続けるのみ。
最後は絶叫しながら午前3時前にお嬢を産みました。
……え?誰?無痛分娩や帝王切開は痛みを感じないから愛情がめばえないとか言ってるの……めっちゃ痛かったけど……?
と放心状態。
今回は立ち会えた旦那氏が「よく頑張ったね」と何度も声をかけてくれます。
横ではお嬢が処置されてカンガルーケア…のはずが…
産後に出血量が多くて医師バタバタ、さらに麻酔の器械が壊れて激痛
なんだか医師が3人もきて足元でずっと何かやっている。
痛いけどどうせまた会陰縫合だろう…と思っていると、すごい痛い、ずっと痛い。
麻酔の追加投入しても効かない。
え?何してる?って聞いてもバタバタしてて誰も教えてくれない。
ナースに泣きつくと、麻酔の器械が壊れていることが発覚。
急いで注射器で麻酔を入れてくれました。
それでも痛い!おかしい!と自分の身体に異変を感じます。
どんどん寒くなって震えが止まらない。
"何が起きているかはわからないけど、自分が死ぬかもしれない"という恐怖に人生で初めて襲われます。
涙が止まらず、「何?怖い!怖い!」と旦那氏に泣きついていると、この騒ぎで息子氏が起きます。
どうやら出血が多かったようで、止血作業をしていたそうです。
すごい血の量と、三人がかりで布を私の子宮内に詰めまくってたそう。
旦那氏はあまりの壮絶な光景に、今私に言ったらやばいと黙っていたそう。
どれくらいかかったかわかりませんが、気づいたらお嬢のカンガルーケアもせずに寝ていた私。
旦那氏もソファで朽ち果て、その横で息子氏がゲームしてました。
部屋にいてくれたナースが「抱っこする?」とお嬢をのせてくれます。
生きていてよかったと思いながら、再び眠ったことを二度と忘れません。
出血多量により、母乳をあげられず入院も延びることに
朝になったら起こされ、「今から入院する部屋に移動するよ」と言われます。
息子氏と旦那氏は一度帰宅して寝てからお見舞いに来るというのでお別れ。
お嬢と私だけで移動するものの、なぜか部屋の準備が終わっておらず、しばらく別の部屋で待機。
「あなたは出血がひどかったのでまだ休んで。めまいなどの症状があるなら歩くのもダメだし、母乳はあげられない。」と言われました。
めまいと吐き気があったのでドナー母乳をあげる同意書にサインして、そのまままた寝てしまいました。
どうやらその間にナースがお嬢に初めての授乳をしてくれていたようです。
別の人が来て、「出血がおさまってきたから、止血用のバルーンとガーゼ出すよ」と言われます。
ここで何をされていたのかを知る私。
担当の医師が驚愕するほど大量のガーゼがお腹から出てきました。
昼頃やっと入院部屋に移動。
旦那氏と息子氏が来ないので、ナースの介助付きでトイレに行くことが許可されました。
ガーゼがなくなってからは痛み止めを服用しているために身体の痛みはなくなり、めまいと吐き気も収まりました。
この時点で出産後9時間。やっと自分で動き、食事をとって、お嬢の授乳もすることに。
通常なら産後1日で退院ですが、出血が多かったので希望すればもう一日入院して良いと言われ、2日間(計3日間)入院しました。
自然分娩と無痛分娩、結局「どっちも痛かった」
ありのままを書いたのでだいぶ長くなりましたが、とにかくどっちも痛かったです。
無痛分娩は「無」の字を取り払うべきです。
(言い方変えた方が齟齬も出ない気がする…)
今日書いたのは退院するまでの話でしたが、産後の体力の回復まで考慮すると、
個人的には無痛分娩にわずかに軍配をあげたいです。
身体が痛いとそれだけで体力を奪われている状態なんだと思います。
だから、無痛分娩で麻酔が効いていた時間、わずかに眠れたり、リラックスできたことは体力の消耗を防げたかなと思います。
入院期間は短かったですが、産後すぐからすこしずつ産褥体操や筋トレを始め、息子氏出産後に悩まされていた身体の痛みもなくなりました。
個人差のあることで、無痛分娩が本当に無痛だった方もいるかもしれないし、自然分娩でも「耐えられたよ?」って方もいるかもしれません。
安全な出産なんてないとはよく聞きますが、二回経験してみて「これ以上に命がけなことって私は経験したことがないな」と思います。
その辺は「コウノドリ」か「透明なゆりかご」を履修することをおすすめします。
まとめ
子どもたちを産んだ時のことを記事にする良いきっかけができました。
経験したことない人、経験したことある人、色んな人の意見があると思います。
そんなたくさんの意見がすぐ目に入る時代で、2人分の命を抱えて未知のできごとに挑戦する妊婦さん。
ご本人がたくさん調べてたくさん考えて、専門家であるお医者さんにも相談して決めた選択肢だと思います。
ご家族やご友人、周りの方々はその気持ちを認めて、出来る範囲でサポートしてあげてください。
これから産まれる赤ちゃんとお母さんにたくさんの幸あれ…!
もしお嬢が将来子どもを産む機会があったら、それが当たり前の世の中になっているといいなと思います。